私は仲本先生の英語で合格しました(^_^)v

【合格体験記】特別長編:全国模試600満点中15点から神戸外国語大学合格(からの慶応大学大学院)(その4)

このように少々感慨深く書いているのにも訳がある。僕の浪人生活は、ある日をさかいに、順風満帆なものとは程遠いものとなってしまったから・・・。

肌寒く感じ始めた初秋、僕は交通事故に遭った。後輩のラグビーの試合を見て、原付バイクで代ゼミに向かっていた日曜日の昼下がり、タクシーに後ろから激しい勢いで追突され、病院に運ばれた。幸いにも命に別状はなかったが、腰を痛め、また急所も縫い入院する羽目になったのだ。

「いかん!このままじゃヤバい!ダメだ!」退院直後から人が変わってしまったかのように勉強した。睡眠時間も一、二時間。風呂も食事も移動も分単位。自分を自分でがんじがらめにして勉強した。

そんな生活を送っていたある日曜日。自習室で勉強をしていた時のことだった・・・。いきなり耳元で「パンッ」という音がなった。その瞬間、いきなり目が見えなくなった。「あれっ・・・」戸惑った。視界がぼやけてものが見えないのだ。最初は寝不足かなと思い顔を洗いに行くも全く変わらない。文字がぼやけて見えないのだ。丁度メガネやコンタクトを外した後にものがぼやけて何も見えない感覚のそれと同じだ。「あれっ・・・」それでも教科書に顔をギリギリまで近づけて無理やり勉強した。すると今度は首の前面が硬直し出し、息も吸いづらくなった。常に首を絞められている感覚で、気が付けば息をしていないということがそれ以降頻繁にあった。症状はどんどん悪化した。一人自分の部屋で勉強していたら目の前でパチパチッと火花が散ったり、もう寝ようと思い電気を消したら部屋の隅で異様な光が見える。陽炎のようなものも見え始めた。勉強をしたくても文字が見えず、志望校であった神戸大学の判定もA判定からC判定に落ち、絶望的だった・・・。眼科に行っても「異常なし」と言われ・・・でも確かに文字が見えないのだ・・・。親には「二浪しても仕方がないやんね」と慰められ、「最初から二浪するって決める馬鹿おるか」と暴れちぎり・・・。どん底だった・・・。文字が見えない悔しさで、何度一人部屋で泣いた夜を過ごしたかわからない・・・。首には週三回、ラグビー部時代お世話になった鍼の先生の元で鍼治療を受けていた。二十センチほどの大きな中国鍼を首の前方部、のど元に垂直に打ってくるのだ。痛くないわけがない。でも何とか文字が見えるようにとすがる思いで通っていた。